石志野日記。

いわしのひのき。\\ Sardina Jota

誰かと一緒に暮らしていくというのは時々息がつまる。

 これは別に、一人暮らしを経験して初めて思ったことではない。生まれ育った実家である時からずっとそう思っていたので、むしろ一人暮らしになるときには少しだけ心が軽くなったものだ。

 そもそも家事は全く苦痛ではなくむしろ料理などは好きだったので、問題はなかった。家事が嫌だというわけではない。

 人間関係だ。苦手なのだ。はっきりと言えるほどに、苦手なのだ。そう自覚しているからこそ努力して良い関係の維持を目指してはいるのだが、なかなか簡単ではない。おれをやってのけている人を、本当に尊敬している。

 一番嫌だった時期がある。受験の年齢だったが、受験や勉強うんぬんをのけて、儂は本当に殺せるほどに弟を憎んでいた時があった。理由はいろいろだが、それがたまりにたまって、行動に移した、わけではない。理性は保たれた、意気地なしだ。まあどっちでもいいのだが、代わりに、というか、そう、現実逃避することで溜まってしまったどす黒いものを吐き出していたのだと思う。その頃に、SF小説『RENTRAP(仮)』を書き始めたことは明白。なぜなら、一家焼身自殺というのか、その描写がある。もちろん、家の中の家具や部屋は実家、ここ実家だ。ここを焼き払う、という現実逃避。

 自殺とかね、他殺とかね、そういう人はさ、試しに書いてみたらいいと思う。なんとかそれですこしでも気が晴れて、押し留まれる人もいると思うんだ。

 ひどいことかもしれないけれど、どうやっても死にたい人は、死んだらいいんだよ。つらかったね、ゆっくり安らかに眠ってねって、そう思ってる。生きる意味というのは人それぞれで、自己を無意味だと、微塵の価値も、なにもないのだと、突き詰めてしまって、それでなんで生きるのって、つらいと思う。

 話がだいぶそれましたけどね、そう、気配りとか、配慮っていうのかな、結構疲れる時があると思うんだ。儂は時々きつい。きついんだ。多分というかもう、一人暮らしを経験してやっぱりなって思ったけど、儂は父親タイプなんだと思う。母親とは、折が合わないんだ。

 怒りを、前面に出して、今わたし怒ってるよ。機嫌が悪いと、今わたし機嫌悪いの、近寄らないで。

 感情をあらわにするということは、大変労力を要する。老人のようだと思われるかもしれないが、介護職の母の話を聞く限りにおいて、老人の方がよっぽど儂よりも生きていると感じる。

 そう、弟に対していろいろ思ったときに、こう思うから疲れてしまうのだ、この感情を感じるから息がつまるのだ、と思って、それからは、怒りというのは、遠い存在となった。

 人間とはふしぎなもので、喜怒哀楽とかいう言葉があるように、そう、1つでも感じないように努力していると、どの感情も、薄らいでくる。

 こんな話題は誰とも話したことがないしおそらく話さないだろうけど、とりとめもないし、まとまらないし、ははは…。

 薄らいでくる感情に付随して、欲というものがない、ということにも気付き始める。だから、というか、今はチョコレートに依存しているが、それすらなかった頃は、本当に、自分の小説を糧に生きていた時期もあったんだなあ。

 かろうじて今は若干の感情はあるけれども、それでも、こうやってツイッターとかブログとかで「ははは」「HAHAHA」って書いて、書いていても口角は上がらない。

 あー、うつだ。ってね。鬱っていう漢字難しいよね。

 

 どうでもいい、という言葉はあまり好きではない。どうでもいい、で終わることは空しい。

 何を書きたかったのか当初の目的を忘れているのだが、ははは、今日はね、ホワイトチョコレートonミルクチョコレートがあるから、まだ幸せなんだ。

 小さな幸せ。